醤油の歴史

醤油の歴史

大宝律令によると、宮内省の大膳職に属する「醤院(ひしおつかさ)」で大豆を原料とする醤が造られていたとされています。 醤とは当時の塩蔵品の総称で、原料別に、草醤(くさびしお)、肉醤(ししびしお)、穀醤(こくびしお)の3種類に分かれ、 草醤は今でいう漬物、肉醤は塩辛類、そして穀醤が醤油の原形であったと推察されます。奈良時代から平安時代の宮中宴会では、 膳の上に「四種器」という4種類の調味料が乗っていた記録があり、その内容は「塩・酒・酢・醤」。 醤は今の醤油と味噌に近いもので卓上調味料として各自が調味していたようです。

鎌倉時代に入り、信州の禅僧覚心が中国から径山寺(きんざんじ)味噌の製法を持ち帰り、その製造の過程で桶の底にたまった液体が、今の溜醤油に近いものであったと言われています。

鎌倉・室町時代に入ると、この調味料造りの伝統は主に寺院に受け継がれ、室町時代の中頃には、ほぼ現在の醤油に近いものが造られるようになりました。 「醤油」という文字が誕生したのもこの頃で、初めて文献に登場するのは安土桃山時代の日常用語辞典『易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』だとされています。

醤油の醸造は室町時代の末頃から盛んになり、当時の文化の中心であった関西から工業化が始まりました。江戸が政治の中心となり、日本一の大都市に発展していくと、 さまざまな独自の文化が生まれ、江戸の人々の嗜好に合わせた「濃口醤油」が広まりました。そば、天ぷら、蒲焼きなどの江戸料理が完成したのは文化・文政時代と言われていますが、そのどれもが醤油なしには生まれなかった味わいです。

明治時代、海外との交流が始まると、ソース、ケチャップなど西洋風の調味料が伝わり、日本国内でも造られるようになりました。しかし醤油の地位は揺らぐことなく、第一次世界大戦後に訪れた好景気で、生産量も飛躍的に拡大。近代的な大量生産体制に移行し、一般家庭への普及も一気に進みました。

昭和に入り、日華事変の勃発で原料の入手が困難になると、醤油は統制物資となり、配給規制を受けるようになりました。第二次世界大戦が終わり、配給公団が廃止され、価格統制も撤廃、醤油業者が再び品質向上を目指せる自由競争の時代がやってきました。それから半世紀以上が過ぎた今、均質で優れた醤油が大量に生産され、日本国内はもとより、世界数十カ国に向けて輸出されています。日本の風土と文化に育まれた醤油は、世界の調味料として、その裾野をますます広げ続けています。

 

トップへ戻る